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鹿児島地方裁判所 昭和33年(わ)335号 判決 1959年7月14日

被告人 鮫島藤義

大二・一一・二八生 失対人夫

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和三十年一月頃から鹿児島県加世田市の失対人夫となり同三十一年四月から同市失対人夫を以て組織される自由労働組合の書記長に推され、同年六月頃から同組合員である未亡人の中村ヒデ(明治四十五年二月五日生)と懇意となりその頃から同女と情交関係を結ぶに至つたが、同三十二年頃より右情交関係を察知し、被告人を忌み嫌う同女の一人娘中村郁代(昭和十五年九月二十九日生)にヒデ方への出入をやめるように要求され右ヒデもそれに同調して態度が次第に冷淡となるに至つてからは同女ならびに右郁代との間にしばしば喧嘩口論するようになり、又同年十二月頃、右ヒデ名義で被告人が共済組合から借り受けた金一万円の返済ができずために同三十三年六月頃からヒデに対する右組合の督促が急となり、右金銭問題も絡んで同女との関係はいよいよ冷却して行つた矢先、同女の他の男関係についての風聞を耳にし、嫉妬の情に駆られて右ヒデ及び郁代に対する粗暴の振舞もその度を加えるに至つたものであるところ

(一)、昭和三十三年八月二十七日午後四時過ぎ頃、失対事業の作業現場である同市小湊通称大小場山の砂利採取場において前記ヒデに対し「明日俺は建築の手伝に行くからお前も休め」と申し向けたところ、同女に拒絶されたので憤慨し、同日午後五時頃「お前はおぼえて居れ。このパンパン。」等と口汚く罵つたことから口論となり、その際、同女から前記金銭問題などにつき同僚人夫の前で面罵されたことに激昂し、その場に同女を突き倒したうえその頭部、顔面部、頸部、両肩胛部、背髄部、腰部、両臀部、両下腿部、両前膊部を殴り、又雨靴履きのまま蹴る等の暴行を加え、よつて同女に対し前同部位に治療約三週間を要する打撲傷を負わせ

(二)、翌二十八日、ヒデより改めて別れ話を持ち出され、翌二十九日被告人方で被告人の母、妻及び郁代等の立会のもとに、被告人とヒデとの間で従前の関係を清算することに話し合いができたのであるが、どうしても同女に対する未練の情絶ち難く、同女との関係につき焦悩して居たものであるところ、翌三十日午後十時頃同市唐仁原六千四百五十一番地のヒデ方を訪れようとした際、同女方附近の小路で同女と迫田静良(当四十八年)とが立話をして居るのを認め、かねて噂のあつた男は右迫田であるものと曲解して嫉妬憤激し、同女を附近の万世小学校運動場に連れ出したうえ右迫田との関係につき種々詰問したが、後を追つて来た郁代並びに被告人の妻鮫島ミチ子に妨げられ、未だ釈然とせぬまま一旦ヒデと別れたが嫉妬の情はいよいよ募り、遂に、今一度同女に真相を質し、真実右迫田と関係があるのならば同女の合意を得て心中し又もし同女がこれに応じなければ無理心中をしようと決意し、同日午後十一時頃知人である同市小湊二千四百九十三番地宇都時義方に赴いて刃渡約十一糎の魚切庖丁二本(証第一号の(1)(2))を借り受け、一旦帰宅した後、翌三十一日午前一時頃、右庖丁を携えて再びヒデ方に赴き、同女方六畳の間において同女に対し、「俺をここまで追いつめたのはお前にも責任がある。一緒に死んでくれ。」等と言いつつ右手に前記の庖丁二本を握り、左手で同女の右手を掴んで同女を屋外に引出し、同家東方の木戸口の方向に連行しようとしたが隙を見て同女が右木戸口の方向に逃走するや茲に同女を殺害したうえ自らも自殺しようと決意し、同女を追つて右木戸口前の小路上、木戸口の南端附近で同女を捉えたが、偶々同女方に泊りに来て居た中村スミヱ(当時四十七年)がかけつけて中に割つて入り、被告人を制止すると共に同所にしやがみ込んでいたヒデを引きおこそうとするや「止めるな」と言いつつ庖丁二本を握つたままの右手で背後より右スミヱを突きのけ、よつて同女の左肩胛部に治療十日間を要する長さ各一糎巾〇・二糎深さ一糎及び六糎の二個の刺創を負わせたが、更に同所において庖丁一本を左手に持ちかえたうえ、立ち上つて逃げようとするヒデの前方よりその右腕を左手で掴み右手の庖丁を以てその左前胸部を五回突き刺して長さ約四・二糎、左第二、三、四の各肋軟骨を長さ約六糎に亘つて切断し更に心嚢を刺通し心臓右室上方より刺入、右心室内に達し、中隔壁の肺動脈起始部に達する刺切創その他四箇の刺創を負わせ、よつてその頃同所附近の田中八太郎方前庭において右心臓に達する刺切創に由来する心臓損傷並びに心嚢タンポナーデに基づいて死亡するに至らしめ、更に、右犯行後ヒデ方前庭を通つて逃走しようとした際ヒデの娘郁代が同家裏の唐芋畑の中を逃げて行くのを認めるや、にわかに同女をもその母の道連れにして殺害しようと思い立つてその後を追いヒデ方住居西南隅より西南十・八米の地点で郁代が俯向けに転倒したところを所携の庖丁を以てその背部、腰部等を三回突き刺し、よつて治療一ヶ月を要する長さ二糎巾一糎深さ十四糎、腎臓部に達する左背部刺創その他二箇の刺創を負わせたが医師の治療により殺害の目的を遂げず、

第二、右犯行直後、犯行の事情を打明けるため、その実姉有馬ナツ方に赴むく途中同僚の失対人夫同市小湊四百六十番地鮫島信義(当時三十六年)方附近を通りかかつた際、同人が日頃組合運営につき事毎に被告人に反対し、又昭和三十一年頃些細な事に憤激し夜間庖丁を携えて被告人方に暴れこみ「お前を殺す」等と喧嘩を仕かけたこと、同三十三年三月の組合書記長改選に際しては被告人を誹謗してその落選を策したこと、同年五月末頃お茶代として組合員より集金した金員が二千七百十九円不足した際、同僚を使嗾して被告人が横領した旨告訴させたと思われる節がある等の事情からかねて右鮫島信義に対する不快の念がうつ憤していたところから、この際同人に対する恨をはらすためその腕の一本も切つてやろうと思いたち、同人方に赴き同家六畳の間において仰向けになつて就寝していた同人に対し「信義、おきてみろ。」と言つたところ同人が起き上らず寝たままううん等と言つていたので腹を立て、いつそこの際同人を殺害しようと決意し、所携の庖丁一本をもつて同人の前胸部略中央を一回突き刺して長さ五・三糎、右鎖骨と胸骨との関節部を刺通し、右鎖骨下動脈の無名動脈より分岐する部分の附近を切断する深さ約一〇糎の刺切創を負わせ、その際驚愕して半身を起した同人の背部右側上方を更に一回突き刺し、長さ三・三糎の刺創を負わせ、よつて即時同所において前記刺切創に由来する右鎖骨下動脈切断による出血のために死亡するに至らしめ、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち各傷害の点は夫々刑法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第一項第三条第一項第一号に、各殺人の点は同法第百九十九条に、殺人未遂の点は同法第百九十九条第二百三条に各該当するので、各傷害の罪についてはいずれも懲役刑を、各殺人の罪についてはいずれも無期懲役刑を、同未遂の罪については有期懲役刑を各選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第十条第四十六条第二項により重い鮫島信義に対する殺人の罪について無期懲役刑を以て処断し、他の罪の刑はこれを科さないこととし、訴訟費用については被告人が貧困のためこれを納付できないことが明らかであるから刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用してこれを負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は本件第一(二)及び第二の各犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、前顕各証拠、有馬ナツ、山崎忠の司法警察員に対する各供述調書、当房サチ子、森利保、上村武森(昭和三十三年八月三十一日付)の司法巡査に対する各供述調書を総合すれば被告人の焼酎の適量は約三合であるところ前記各犯行前日、夕食後である午後五時過ぎ頃に約二合五勺、午後八時三十分頃に約一合を飲んだが、当夜被告人は著しく酩酊している風には見られなかつた事実、万世小学校より約千七百米距る宇都時義方に自転車で行き前記の兇器を借り出している事実、前記各犯行当時の追想は略正確であり、その取調官に対する供述も概して整然としている事実、前記各犯行直後その親族知人を訪ね、被害者の名を挙げて犯行を告白し、後事を託している事実、前記各犯行には被告人なりの動機があり、被告人はある目的意識に従つてこれを敢行している事実、等が認められるのみならず右認定事実に鑑定人佐藤幹正作成の鑑定書、第七回公判調書中証人佐藤幹正の供述記載を併せ考えると被告人は右犯行当時病的酩酊状態ではなく、又、狭義の精神病者でもなかつたものと認められる。結局被告人は右犯行当時事理を弁別する能力を著しく低減し、心神耗弱の状態にあつたとは到底認められないので、弁護人の右主張はこれを採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 古庄良男 西川太郎 竜岡稔)

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